10月13日 第287日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 13日 - この記事は約2分で読めます。
それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来るべき世々に示すためでした。 (エペソ人への手紙2:7)
それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来るべき世々に示すためでした。
私が思うに、聖書にあるキリストの再臨の描写の中で、ルカの福音書12章35-37節ほど驚嘆すべき姿は他にありません。ここには、婚礼の宴から帰って来る主人の姿が描かれています。
「腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。」
確認しておきますが、私たちはしもべです。それは、私たちが主人に言われた通りに行動するべきであることは言うまでもありません。しかし、この箇所の素晴らしいところは、「主人」が給仕してくださることです。イエスの地上での宣教のあいだ、このような姿を見ることはあったかもしれません。イエスはこう言っておられるからです。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです」(マルコ10:45)。しかし、ルカの福音書12:35-37節はイエスの再臨について語っています。それは、テサロニケ人への手紙第二1章7-8節にあるように、人の子が御父の輝かしい栄光を帯びて、「燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに」現れるときのことです。この再臨のときにおいて、なぜイエスは給仕役として描かれているのでしょうか?
なぜなら、イエスの栄光の本質は、助けを必要とする人々への優しさとして溢れ出す恵みの豊かさにあるからです。エペソ人への手紙2章7節にも、イエスの目的が記されています。「それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。」
私たちの神の偉大さとは何でしょうか? 神がこの世界において唯一無二であられる理由は何でしょうか? イザヤはこう答えています。「とこしえから聞いたこともなく、/耳にしたこともなく、/目で見たこともありません。/あなた以外の神が/自分を待ち望む者のために、/このようにするのを」(イザヤ64:4)。このような神は、この方以外にいません。神に絶えずより頼む幸いな人々のために、尽きることのない恩恵を与え続ける役割を、神は決して放棄されません。