夫と妻のための快楽主義

10月22日 第296日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 22日  - 

教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。

エペソ人への手紙5:24-25

神が制定された結婚の愛には、決まったかたちがあります。

夫と妻それぞれの役割は同じではありません。夫は、教会のかしらであるキリストからその手がかりを得るべきです。妻は、キリストに服従するよう神によって設計された教会から、その手がかりを得るべきです。

これを行うとき、堕落によってもたらされた罪深く有害な結果が逆転し始めます。堕落は、男性の愛に基づくリーダーシップを捻じ曲げ、ある人にとっては敵意に満ちた支配、またある人にとっては怠惰な無関心へと変えてしまいました。堕落はまた、女性の知的かつ喜びに満ちた服従を捻じ曲げ、ある人にとっては操作的な卑屈さに、またある人にとってはわきまえのない不服従に変えてしまいました。

イエス・キリストというメシアがついに来られたとき、私たちが期待した贖いは、愛なるリーダシップと喜びの服従の解体ではなく、それらの回復でした。妻たちよ、喜びの教会に対する神の意図を模範として、堕落した服従を贖おうではありませんか! 夫たちよ、惜しみない愛を注ぐキリストに対する神の意図を模範として、堕落したリーダーシップを贖おうではありませんか!

私はエペソ人への手紙5章21-33節に二つのことが示されていると思います。(1)結婚におけるクリスチャン快楽主義の描写と、(2)それによって動かされる方向性です。

妻たちは、神が夫に定めた「かしら」の役割、また夫婦の関係における夫のリーダーシップを認め尊ぶことを通して、夫の喜びのうちに自分自身の喜びを見出しましょう。夫たちは、キリストが教会を導き、教会のためにご自身を献げられたように、妻を導く責任を受け入れることを通して、妻の喜びのうちに自分自身の喜びを見出しましょう。

私は自分の人生の中で神の良いみわざを証ししたいと願っています。結婚した1968年と同じ年に、私はクリスチャン快楽主義を見出しました。それからというもの、妻ノエルと私は、イエス・キリストへの従順の中で、最も深く、最も長く続く喜びを、可能な限りの情熱をもって追求してきました。あまりに不完全で、時にはあまりに中途半端な思いであったとしても、互いの喜びの中に自分自身の喜びを追い求めてきました。

そして今、私たちは50年以上の結婚生活を経て、ともに証しをすることができます。結婚する者にとって、これこそが心の願いへの道である、と。私たちにとって、結婚はクリスチャン快楽主義のための基盤となってきました。互いの喜びの中に喜びを追い求め、それぞれが神によって定められた役割を果たすとき、キリストと教会のたとえである結婚の奥義は、神の偉大な栄光と私たちの大いなる喜びの証言となるのです。

{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Hedonism for Husbands and Wives .
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Hedonism for Husbands and Wives .