最も小さい信仰

1月3日 第3日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 01月 03日  - 

ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

(ローマ人への手紙9:16)

一年のはじめに、ひとつはっきりとさせておきましょう。今年、イエスを信じる者として私たちが神から得るものは、あわれみです。私たちの歩む道にいかなる喜びや痛みがあろうとも、すべてはあわれみなのです。

キリストが世にこられたのは、このためです。「また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです」(ローマ15:9)。私たちは「(神の)大きなあわれみのゆえに」新しく生まれ変わりました(Iペテロ1:3)。私たちは「あわれみを受け」、日々祈ります(ヘブル4:16)。そして私たちは今、「永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望み」ます(ユダ1:21)。信頼を得ているクリスチャンがいるとしたら、その人は「主のあわれみにより信頼を得ている」のです(Iコリント7:25)。

ルカの福音書17章5-6節で、使徒たちは主に「私たちの信仰を増し加えてください」と懇願しています。そしてイエスは、このように言われました。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。」 つまり、クリスチャン生活における問題は、私たちの信仰がどれだけ強いか、またはどれだけ多いかではありません。木を根元から抜くのは強さや量によらないからです。それをなさるのは、神です。ですから、私たちを真にキリストと結ぶ信仰がわずかでもあれば、必要なものすべてにキリストの力が十分働くのです。

では、主にうまく従えたときはどうでしょうか? あなたのその服従によって、あなたはあわれみを乞うべきグループから脱退できるのでしょうか? イエスの答えは、ルカの福音書17章7-10節に書かれてあります。

「あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕をしなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」

したがって、私はこう結論づけます。完全な服従も、ごくわずかな信仰も、神から同じものを得させます。それは、あわれみです。ほんのからし種ほどの信仰が、木を動かすほどの神の力に触れるのです。そして、非の打ちどころのない服従は、私たちを完全にあわれみに依存させます。

重要なポイントは次のことです。神のあわれみがいつ、どのように現れようとも、私たちは決してあわれみを施してくださる方の立場を上回ることはありません。私たちは常に、自分に値しないものに完全に依存しているのです。

だからこそ、へりくだり、喜んで、「あわれみのゆえに、神をあがめ」ようではありませんか!

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Smallest Faith.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: The Smallest Faith