10月26日 第300日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 26日 - この記事は約1分で読めます。
「神にはどんなことでもできるのです。」 マルコの福音書10:27
「神にはどんなことでもできるのです。」
神の主権的恵みは、クリスチャン快楽主義者にとっていのちの泉です。神の主権的恵みが神ご自身を満たし、周囲の人々にその恵みが溢れ流れるという体験こそ、クリスチャン快楽主義者が最も愛することであるからです。
クリスチャン快楽主義である宣教師は、「働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのです」(Iコリント15:10)という体験を心から喜びます。彼らは、その宣教の労力による実はすべて神のものであるという真理に浴します(Iコリント3:7; ローマ11:36)。
主人が「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」(ヨハネ15:5)と言うとき、彼らはただ感謝を覚えるのみです。彼らは、新しい創造という不可能な重荷を自分たちの肩から降ろし、神がその重荷を負ってくださったという真理に、子羊のように飛び跳ねて喜びます。彼らは何の恨みも持たずに、こう言うのです。「何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです」(IIコリント3:5)。
彼らが休暇で帰国するとき、このように教会に報告することほど大きな喜びをもたらすことはありません。「私は、異邦人を従順にするため、キリストが用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かをあえて話そうとは思いません」(ローマ15:18)。
「神にはどんなことでもできるのです」! みことばは彼らの前に希望を与え、背後には謙遜をもたらします。みことばは絶望に対する解毒剤であり、誇りに対する解毒剤でもあります。これこそ、宣教師にとって完璧な治療薬です。
{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}