11月1日 第306日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 01日 - この記事は約2分で読めます。
今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。 コロサイ人への手紙1:24
今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
キリストは罪人のために苦しみを受け、死ぬことによって、世のために愛のささげ物を備えてくださいました。これは完全ないけにえです。このいけにえは、すべての神の民の、すべての罪の代価を完全に支払います。この賜物に何かを加えてより良いものにすることはできません。何も欠けているところがないからです。いえ、ただ一つ欠けているとすれば、キリストが世界の国民に個人的に伝えられることです。
この一つの「欠け」に対して、神はキリストの民(パウロのような人々)を召し出し、キリストの苦しみが世界の人々に個人的に伝えられるようにされました。これをすることによって、私たちは「キリストの苦しみの欠けたところを満たしてい」ます。私たちは、キリストの苦しみに意図された目的、すなわち自分自身の限りない価値を知らない人にキリストを個人的に伝えるという目的を、成し遂げるのです。
しかし、コロサイ人への手紙1章24節で最も驚くべきことは、パウロがいかにしてこの「キリストの苦しみの欠けたところ」を満たしているかです。
パウロは、自分自身の苦しみこそがキリストの苦しみを満たす、と言っています。それはつまり、パウロ自身がキリストのために獲得しようとしている人々のために苦しみを受けることによって、キリストの苦しみが示されるということです。パウロの苦しみのうちに、彼らはキリストの苦しみを見るのです。
ここに驚異的な結論が導き出されます。神は、ご自身の民の苦しみを用いて、キリストの苦しみを世界に示されるということです。
キリストのからだである教会が、キリストが受けられた苦しみの一部を経験することを神は望んでおられます。それは、私たちが十字架がいのちに至る道であることを宣言するとき、人々が私たちのうちに十字架のしるしを見て、私たちから出る十字架の愛を感じるようになるためです。