11月2日 第307日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 02日 - この記事は約2分で読めます。
「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」 マタイの福音書5:11-12
「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。」
クリスチャン快楽主義は、クリスチャンとして苦しみの中で喜ぶ方法がいくつかあると考えます。いずれも、すべてを満たす十分な恵みの表現として追求されるべきものです。
苦しみの中で喜ぶ一つの方法は、復活において私たちに与えられる報いが大きいことに思いをしっかりと向けることです。このように焦点を定めることで、現在の痛みなど将来の祝福に比べればあまりに小さいと感じさせてくれます。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」(ローマ8:18; IIコリント4:16-18参照)。苦しみに耐えるために私たちの受ける報いを喜びとすることは、愛をも可能にします。
「あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く……」(ルカ6:35)。貧しい人に寛大でありなさい。「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです」(ルカ14:14)。この約束された報いに確信を持つなら、私たちは世俗的な束縛から解放され、愛のために犠牲を払うことに対して自由になります。
苦しみの中で喜ぶもう一つの方法は、苦しみが持つ希望を確信させる力にあります。苦しみにおける喜びは復活と報いの希望だけに根ざしているのではなく、苦しみそのものが希望を深める作用を持つことにもよるのです。
例えば、パウロはこう言っています。「私たちは苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです」(ローマ5:3-4)。
言い換えれば、パウロの喜びは単に大きな報いに根差しているのではなく、その報いの希望をより堅固なものにさせる苦しみの効果によるのです。苦難は忍耐を生み出し、忍耐は私たちの信仰が本物で純粋なものであるという感覚を生み出し、それが私たちの希望を強め、確かにキリストを得ることができるという確信につながります。
ですから、報いの豊かさに焦点を当てるにせよ、苦しみの精錬的な効果に焦点を当てるにせよ、私たちの喜びが苦しみの中で保たれることが神の目的であることには、変わりありません。
{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}