11月12日 第317日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 12日 - この記事は約2分で読めます。
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。 ヤコブの手紙5:11
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。
あらゆる病気や障害の背景には、神の究極的なみこころがあります。サタンがまったく関わっていないということではありません。サタンは常に、何らかのかたちで、人々を虐げるために関わっているからです(使徒10:38)。しかし、サタンの力は決定的なものではありません。サタンは神の許しなしには、何もできないのです。
ヨブの病気もそうでした。病気がヨブを襲ったとき、「サタンは……ヨブを……悪性の腫物で打った」(ヨブ2:7)と聖書にはっきりと書いてあります。ヨブの妻は神を呪いなさいと促しました。しかし、ヨブはこう言ったのです。「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか」(ヨブ2:10)。そして、この御霊の啓示を受けたヨブ記の著者は、今回も(1:22でもそうだったように)「ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった」と、彼を称賛しています。
つまりこれが、神がサタンに対して持っておられる主権の正しい理解です。サタンは本物で、私たちの苦悩に加担しているでしょう。しかしサタンには決定打もなければ、決定権もありません。
ヤコブは、神がヨブのあらゆる苦痛に対し、良い目的を持っておられたことを明確にしています。「あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます」(ヤコブ5:11)。
すなわち、サタンは確かに加担していましたが、究極的な目的は神のものであり、その目的は「慈愛に富み、あわれみに満ち」たものだったのです。
これは、コリント人への手紙第二12:7から得られる教訓と同じです。パウロはこの箇所で、肉体のとげは「サタンの使い」だと言いつつも、それは彼自身の聖さのために——高慢にならないように——与えられたと言っています。「その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。」
ここでパウロの苦悩から生まれる謙遜は、サタンの目的ではありません。したがって、この目的は神のものです。すなわちこの場合、神がパウロの人生に計画されている良い目的を達成するために、サタンは神によってただ利用されているだけです。実際、選ばれている神の子どもたちである私たちにとって、サタンは私たちを滅ぼすことができず、神はサタンのすべての攻撃を最終的にはご自身に向け、それらを私たちのために用いてくださるのです。