不安になるとき

11月16日 第321日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 16日  - 

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

ペテロの手紙第一5:7

私たちが罪に誘惑されるとき、また不意に襲ってくるあらゆる不信仰に不安になるとき、そのすべての状況にふさわしい約束が私たちには与えられています。

病いについて不安になるとき、私はこの約束で不信仰と戦います。「正しい人には苦しみが多い。/しかし はそのすべてから救い出してくださる」(詩篇34:19)。そして私は恐れおののいて、この約束を受け取ります。「それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3-5)。

歳をとることについて不安になるとき、私はこの約束で不信仰と戦います。「あなたがたが年をとっても、/わたしは同じようにする。/あなたがたが白髪になっても、/わたしは背負う。/わたしはそうしてきたのだ。/わたしは運ぶ。/背負って救い出す」(イザヤ46:4)。

死ぬことについて不安になるとき、私はこの約束で不信仰と戦います。「私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです」(ローマ14:7-9)。

信仰という船が難波し、神から離れてしまうのではないかと不安になるとき、私はこの約束で不信仰と戦います。「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています」(ピリピ1:6)。「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります」(ヘブル7:25)。

ですから、戦いを始めましょう。他の人との戦いではなく、自分自身の不信仰との戦いです。不信仰は不安の根であり、不安は他の多くの罪の根になるからです。

さあ、私たちは、尊く偉大な神の約束から目を離さないでいましょう。聖書を手に取り、聖霊の助けを求め、あなたの心にこれらの約束を並べ、しっかりと戦うのです。私たちが将来の恵みを信じる信仰によって生きるために——。

{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, When I Am Anxious.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:When I Am Anxious.