死ぬことが益である五つの理由

11月20日 第325日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 20日  - 

私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。

ピリピ人への手紙1:21

死ぬことが、どうして「益」なのでしょうか?

1) 私たちの霊が完全なものとされる(ヘブル12:22-23)

しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、いける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、……[です。]」

私たちのうちには、もはや罪がなくなります。私たちは内なる戦いを終え、私たちを愛し、いのちを献げてくださった主を悲しませてしまう、あの胸が張り裂けるような落胆からも解放されるのです。

2) この世の痛みから解放される(ルカ16:24-25)

復活の喜びは、まだ私たちのものにはなりませんが、痛みから解放される喜びは与えられます。イエスはラザロと金持ちの話を通して、死によって訪れる大いなる逆転を教えておられます。

「金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。』

3) たましいの深い安らぎが与えられる(黙示録6:9-11)

神のまなざしと御手のもとには、深い安らぎがあります。それは、私たちがこの地上で経験した穏やかな夏の夕べ、静けさに満ちた湖のほとり、心から幸せな瞬間さえも超えるほどの安らぎです。

子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、……もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。

4) 我が家に帰るという深い喜びを経験する(IIコリント5:8)

私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。

全人類は、それを意識していなくとも、神に対してホームシックの状態にあります。キリストのみもとに住むとき、私たちは今まで経験してきた安心と平和の感覚を遥かに超えるほどの安らぎを経験することになります。

5) キリストとともにいるようになる(ピリピ1:21-23)

キリストは地上にいる誰よりもすばらしい方です。あなたが一緒に過ごすのが楽しいと思うどんな人より、キリストは知恵に満ち、強く、優しい方であり、限りなく私の興味をそそります。キリストはいつでも、招かれた客を最大限に楽しませるために、何を語り、何をなすべきか、常に完璧に知っておられます。その愛は豊かに溢れ、キリストの愛する者たちがどうすれば「自分はキリストに愛されている」と感じられるかを、キリストは完全に知っておられるのです。だからこそ、パウロはこう語ったのです。

私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Five Reasons Death Is Gain.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Five Reasons Death Is Gain.