11月25日 第330日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 25日 - この記事は約2分で読めます。
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。 コリント人への手紙第二4:15
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
神への感謝は、喜びに満ちた感情です。私たちは神の恵みに対して、喜びに満ちた負債感のようなものを感じます。ですから、ある意味で、感謝という感情そのものの中においても、私たちは依然として恩恵を受けているのです。しかし、感謝することは、本質的にその恵みを与えた方をほめたたえます。私たちが感謝の思いを抱くとき、私たちは自分たちの必要を認め、そして神が慈愛に満ち、完全で栄光に富んだ方であることを認めます。
レストランで給仕をしてくださった方に「ありがとう」というとき、私はへりくだり、相手をたたえるように、神に感謝を抱くときも、私はへりくだり、神をたたえています。当然、この二つの状況はまったく同じではありません。その違いは、私は神に対して、本当に、限りなく負債を負っている点です。神の恵みと、神が私のために成し遂げてくださったすべては、私にとって完全に無償であり、受けるに値しないものです。
しかし、ここで言いたいのは、感謝は与えた者をほめたたえるということです。感謝は神をたたえます。そしてそれこそが、パウロのあらゆる働きの最終的なゴールでした。当然、パウロの働きは教会のため——教会の益のため——です。しかし、教会は最終目的ではありません。もう一度読んでみましょう。「すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。」 あなたがたのため——神の栄光のためなのです!
福音のすばらしい点は、神の栄光のために私たちに求められている応答が、同時に私たちにとっても最も自然で喜びに満ちた応答であるということです。すなわち、恵みに対する感謝です。神が与えるとき、そこにはすべての必要を満たす栄光があり、私たちが受け取るとき、そこにはへりくだる感謝があります。これらは互いに対立するものではありません。喜びに満ちた感謝は神をたたえるのです。
神の恵みに対して栄光を帰す人生と、最も深い喜びに満ちた人生とは、同じです。そしてこれらを一つに結びつけているのは、感謝です。