11月26日 第331日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 26日 - この記事は約2分で読めます。
したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。 ヘブル人への手紙7:25
したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。
ここに、イエスはいつも生きていて、人々のためにとりなしをしておられるから、キリストは人々を完全に——永遠に——救うことができる、と記されています。別の言い方をするなら、イエスがもし私たちのために永遠にとりなしをしておられなかったら、私たちを永遠に救うことはできないということです。
つまりこれは、イエスの祭司としての働きが滅びることがないと保証されているように、私たちの救いもまた保証されているという意味です。私たちが人間の祭司よりもはるかに偉大な祭司を必要としていたのはこのためです。キリストの神性と死からの復活が、キリストの祭司職が決して滅びることがないことを保証しているのです。
つまりこれは、私たちは救いに関して語るとき、よく用いられがちな固定的な表現で語るべきではないということを意味します。救いとはあたかも私たちの一度きりの決断、そしてキリストの一度きりの死と復活、それがすべてであるかのように語ることが、いかに多いことでしょうか。救いは決して、それがすべてではないのです。
今日というこの日も、天におられるイエスの永遠のとりなしによって私は救われています。イエスは私たちのために祈っておられます。そしてそれは、私たちの救いに必要不可欠なのです。
私たちは、天におられる大祭司イエスの永遠の祈りと(ローマ8:34)、とりなし(Iヨハネ2:1)によって永遠に救われています。イエスは私たちのために祈っておられ、その祈りは聞き入れられます。なぜなら、イエスはご自分の完全な犠牲のささげ物に基づく、完全な祈りをささげてくださるからです。