宣教の主な目的

2月5日 第36日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 02月 05日  - 

しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

(ヘブル人への手紙10:39)

愛を施すための一時的な犠牲に目を留めて、限りなく優れた神の約束への確信から恐れ退くことがありませんように。もし恐れ退くなら、あなたはその約束を取り逃すばかりか、滅びてしまうのです。

恐れ退くか、あるいは保つかによって、地獄がかかっています。ほんのおまけのような報いの損失が天秤にかかっているのではありません。ヘブル人への手紙10章39節に、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく」とある通りです。これは永遠のさばきです。

ですから、互いに警告し合いましょう。流されてはいけません。世を愛してはいけません。大したことがかかっているわけではないなどと、思ってはいけないのです。罪の約束よりも、神の約束を大切にしないとどうなるか、その恐ろしい結末を恐れなければなりません。ヘブル人への手紙3章13-14節にはこうあります。「『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。」

しかし、私たちがなすべき主なことは何でしょうか。それは、約束の尊さに焦点を定め、キリストが私たちのために買い取ってくださった報いがどれほど大きなものであるかを、他のどんなものよりも大切にするよう助け合うことです。ヘブル人への手紙10章35節にあることを、私たちは互いに言い合わなければなりません。「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。」 そして私たちは互いに、この報いがいかに大きいものであるかを見ることができるよう、助け合わなければなりません。

キリストがすべての人のために買い取ってくださったものがいかに大きいものであるかを伝え、それがこの世よりも価値あるものだと理解する人を助けること、それこそが、説教の主な役割であり、スモールグループや教会のあらゆるミニストリーの働きの主な目的です。彼らがそれを見て、味わうことができるよう助けるなら、神のはるかに優れた価値が、彼らが満ち足りる中に、そしてそのような心から生まれる犠牲の中に、輝き渡ることでしょう。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Main Purpose of Ministry.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: The Main Purpose of Ministry