私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
(ガラテヤ人への手紙2:19-20)
神はなぜ宇宙を創造されたのでしょうか? そしてなぜ、このように宇宙を治めておられるのでしょうか? 神は何を成し遂げようとしておられるのでしょうか? イエス・キリストはそれを成し遂げるための手段でしょうか、あるいは終着点でしょうか?
イエス・キリストは、この上ない神の啓示です。イエスは人間のかたちをとられた神であられます。よって、イエスは終着点であって、手段ではありません。
神の栄光を明らかにすることは、宇宙の意義です。神はこれを成し遂げようとしておられるのです。天と、世界の歴史は、「神の栄光を語り告げ」ています。
しかし、イエス・キリストは成すべき御業の成就のために遣わされました。イエスは堕落の解決のため、すなわち罪によって破滅を免れない罪人を救い出すために、来られたのです。救い出された罪人は、とこしえに続く喜びとともに、神の栄光を見て、味わい、その輝きを反映させます。
救い出されなかった人々は、神の栄光を蔑み続けるでしょう。ですから、イエス・キリストは、神がご自分の栄光を明らかにするために、そしてご自分の民がその栄光を享受するために、成し遂げようとされたことのための手段と言えます。キリストの救いの御業なしには、誰も神の栄光を見て、それを味わい祝うことはありません。宇宙の目的は成就されないまま終わってしまいます。よって、キリストは手段です。
しかし、十字架の成就を通して、キリストが罪人のために死なれたことにより、キリストは御父の愛と義をこの上なく明らかにされました。これは神の栄光の啓示、すなわち神の恵みの栄光の啓示の、頂点です。
したがって、神の目的の手段として、キリストの完全なる御業が成されたその瞬間、イエスはその目的の終着点となられたのです。罪人の身代わりとして死なれ、罪人のいのちのために復活されることによって、イエスは神の栄光の中心的かつ至高の啓示となられました。
ですから、キリストは神の宇宙の目的の手段でもあり、終着点でもあるのです。
キリストの御業がなければ、神の民が享受すべき、神の栄光の満ち満ちた啓示は、その終着点に辿り着かなかったでしょう。
そして、その手段である御業そのものを通して、キリストは終着点となられました。このお方こそ、キリストが私たちのために呪いとなられたことによって、そこにますます明らかにされる神を見て、味わう永遠を過ごすとき、世々限りなく礼拝を捧げるべきお方です。
イエスは、宇宙が造られた目的の終着点であり、その終着点を義とされた罪人が享受するための手段です。
聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会
THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Christ as Means and End.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: Christ as Means and End。