予期せぬ脅威に直面するとき

2月23日 第54日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 02月 23日  - 

もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

(ペテロの手紙第一4:14)

現代の世界に生きるクリスチャンの多くは、キリストを信じることで命が脅かされるような危険を感じることはないでしょう。私たちは、そのような迫害から遠ざけられていることに慣れてしまい、迫害など無いのがあたかも当然であるかのようです。

ですから、本当のところはそうではないかもしれないという恐れが生じたとき、最初の反応は怒りであることがほとんどです。しかし、この怒りは、私たちが旅人であり寄留者であるという感覚を失ってしまった証拠かもしれません(「愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから……」Iペテロ2:11)。

私たちはこの世界が居心地良くなりすぎたのでしょうか。もはや、パウロほどに、ホームシックになってキリストが恋しくなることもないようです。「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリピ3:20)。

このことを思い起こす必要がある人は、少なくないでしょう。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃え盛る試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません」(Iペテロ4:12)。試練は不思議なことではないのです。

最後の審判のときが訪れたとき、自分は果たして上手く切り抜けられるだろうかと考えたことはあるでしょうか? 銃を構えた男があなたに照準を合わせ、こう尋ねるのです。「おまえはクリスチャンなのか?」 ここに、希望を与えてくれる力強いことばがあります。きっとあなたが思うよりも上手くいくはずです。

ペテロが言います。「もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」(Iペテロ4:14)。このペテロの励ましは、予期せぬ脅威(ののしりであれ、死であれ)に直面するとき、そこには「栄光の御霊、すなわち神の御霊があなたがたの上にとどまってくださる」と語っています。これはつまり、クリスチャンであるということで苦しみを受けるなら、その危機に直面するとき、神は特別な助けを与えられるということです。

他の苦難においては神はおられない、と言っているのではありません。ただ、ペテロはあえて、「キリストの名のために」苦しむ者は、「栄光の御霊、すなわち神の御霊」がその人の上に「とどまってくださる」のを特別に体験するだろう、と言っているのです。

試練が訪れるとき、あなたもこの体験を得られるよう祈りましょう。その瞬間、私たちが普段持っていないような、忍耐の力の源が与えられることでしょう。心配はいりません!

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Hour of Unusual Threat.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: The Hour of Unusual Threat