2月28日 第59日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 02月 28日 - この記事は約2分で読めます。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。 (ローマ人への手紙8:33)
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
「だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか」という問いに対して、パウロは、「誰もできない! 私たちは義と認められているのだ」と答えることもできたはずです。これも真理でしょう。しかし、パウロはそのようには言いませんでした。代わりに、「神が義と認めてくださるのです」と言ったのです。
つまり強調すべきは、行為ではなく、その行為を行うお方です。
なぜでしょうか? この言葉が生まれた法廷と律法の場では、裁判官の無罪判決がより上位の裁判官によって覆される可能性があるからです。
例えば、地方裁判官があなたに無罪を言い渡したとして、しかし実際は有罪である場合、知事があなたを告訴する権利を持っているとしたらどうでしょうか? しかし知事は、あなたの有罪にも関わらず無罪を言い渡したとして、今度は皇帝があなたを告訴できるとしたら?
つまり大切なのは、神の上に、より上位の法廷は存在しないということです。神があなたを無罪にしたのであれば——神の目にあなたの義が認められたなら——それに対して誰も上訴することはできず、詭弁を主張することもできず、無効審理を要求することもできず、あなたに対して他の訴因を探すこともできません。神の判決は、最終かつ完全なのです。
イエスを信じ、キリストと結ばれ、選ばれた者の一人であるみなさん、聞いてください。神こそが、あなたを義と認めるお方です。人間の裁判官でも、偉大な預言者でも、天からの大天使でもありません。この世界の創造主であり、すべてのものの所有者であり、宇宙とそこに存在するあらゆる分子と人間の支配者であられる神が、あなたを義としてくださるのです。
重要ポイントです。とてつもない苦しみに直面しようとも、揺るぎない安心があります。神が私たちの味方なら、誰も私たちに逆らうことはできません。神が私たちに御子を与えられたのなら、その他の良いものをもすべて与えてくださらないことがあるでしょうか。神が私たちを義と認められるなら、私たちに対するいかなる告訴も棄却されます。