イエスは神の「アーメン」

3月13日 第73日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 03月 13日  - 

神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

(コリント人への手紙第二1:20)

私たちの人生において、祈りは、過去と未来が何度も交錯する場所です。私がこう言ったのは、パウロがこの一節で、神の「はい」を非常に印象的な方法で祈りと結びつけているからです。

コリント人への手紙第二1章20節で、パウロはこう言いました(途切れ途切れの文に突然ギリシア語が挟まれます)。「それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。」 この文章をもう少しわかりやすくしてみましょう。

パウロが言おうとしているのはこういうことです。「ですから、キリストによって、私たちは祈りの中で神に『アーメン』と言います。それは、私たちが祈るときに求め、期待している将来の恵みに対して、神が栄光を受けることを示すためです。」

クリスチャンがなぜ祈りの最後に「アーメン」というのか、またその習慣がどこからきたのか、不思議に思ったことはあるでしょうか。これが答えです。「アーメン」は、ヘブライ語が翻訳されないままギリシア語に取り入れられた言葉で、英語を含めほとんどの言語でも同じように翻訳しないままで使われています。

ヘブライ語で「アーメン」とは、非常に強い意味での断言(参照・民数記5:22; 8:6)です。正式で厳粛、かつ真剣な、「同意します」または「今言ったことを保証します」または「これは真実です」を意味します。単純に言えば、「アーメン」は、神に対して答えるときの、一番の本心からの「はい」なのです。

さて、コリント人への手紙第二1章20節での、前半と後半の繋がりに着目してみてください。前半は「神の約束はことごとく、この方において『はい』となりました」、とあります。後半は「それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです」とあります。

「アーメン」と「はい」が同じ意味であることを踏まえると、この一節はすなわちこういう意味になります。神は、イエス・キリストにあって、ご自身の約束を通して、私たちに「はい」と言われます。そして私たちは、キリストにあって、祈りをとおして、神に「はい」と言うのです。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Jesus is God’s Amen.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: Jesus is God’s Amen