3月23日 第83日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 03月 23日 - この記事は約2分で読めます。
私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。 (IIペテロ1:3)
私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
聖書が知識に与える力には、驚かされます。
ペテロの手紙第二1章3節をもう一度読んでみましょう。「私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、……神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、……与えました。」
私たちが生きるため、そして敬虔であるために、神が与えてくださるすべての力は、文字通り、私たちが知ることによるのです! なんということでしょうか! 私たちはもっと聖書の教理や教えに重点を置かなければなりません! いのちと敬虔がかかっているのですから。
知るだけで、敬虔が保証されるということではないでしょう。しかし、無知が不信心をもたらすのは保証されています。なぜなら、ペテロは敬虔に導く神の力は、神を知ることによって与えられると言っているからです。
この箇所の適用、警告、勧めを記しておきましょう。
警告:「わたしの民は知識がないので滅ぼされる」(ホセア4:6)。「私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません」(ローマ10:2)。ですから、無知が致命的な結果をもたらすことを覚えていてください。
勧め:「私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう」(ホセア6:3)。