4月1日 第92日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 04月 01日 - この記事は約2分で読めます。
私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。 (テサロニケ人への手紙第二1:1)
私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。
私たちは、父なる神に「ある」、そして主に「ある」教会です。これはどういう意味でしょうか?
「父なる神」は、おもに配慮、支え、守り、備え、そして訓練を意味します。ですから、父なる神に「ある」ということは、私たちの天の父である神の配慮と守りのもとに留まるという意味でしょう。
もう一つ「ある」のは主です。私たちは、主イエス・キリストにあります。「主」という言葉は、おもに権威、リーダーシップ、所有を意味します。ですから、主に「ある」ということは、私たちの最も優れた主なるイエスの、支配、権威、所有の中にある、という意味です。
つまり、パウロがテサロニケ人の教会に宛てた挨拶は、彼らが(父なる神の配慮にある)家族であり、(主の支配のもとにある)しもべであることを思い起こさせるものでした。神を父と主として、また教会を家族としもべとして説明するのは、私たちが最も深く必要としているものを二つ描いています。
私たちは誰もが、救いと助けを必要とし、その一方で、目的と意味を必要としています。
私たちは、あわれみ深い父なる神が私たちの擁護者となり、偉大な責務のために、全能の主が私たちの戦士となり、司令官となり、指導者となってくださることを願います。ですから、パウロが1節で、あなたがたは「父なる神と主イエス・キリストにある」教会だと言うとき、私たちは父なる神から安らぎと助けを得、そして主イエスからは勇気と生きる意味を得ることができるのです!