9月19日 第263日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 09月 19日 - この記事は約2分で読めます。
神はモーセに仰られた。「わたしは『わたしはある』という者である。」 (出エジプト記3:14)
神はモーセに仰られた。「わたしは『わたしはある』という者である。」
この「わたしは『わたしはある』という者」という壮大な名前から受け取られることの一つは、この無限で、絶対的で、自らを決定づけられる神が、イエス・キリストにあって私たちに近づいてくださったという事実です。
ヨハネの福音書8章56-58節で、イエスはユダヤ人指導者たちの批判にこのように答えられました。「『あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。』 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。『あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか。』 イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、「わたしはある」なのです。』」
これは、イエスが口にされた最も高貴なことばと言えるでしょう。「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」だと言われたとき、イエスは、神の御名が持つ壮大な真理をすべて捉え、しもべの謙虚さでそれを包み、私たちのすべての反抗への贖いとして自らを献げ、この無限で、絶対的で、すべてを満たす神の栄光を、私たちが見ることができるように道を備えてくださいました。それを恐れることなく成し遂げられたのです。
イエス・キリストにあって、神から生まれた私たちは、「わたしは『わたしはある』」の神、ヤハウェを、私たちの父として知るという言葉にできないほどの特権を得ています。
この神は、
神の御名を知る者が、そのお方に拠り頼みますように(詩篇9:10)。