11月4日 第309日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 04日 - この記事は約2分で読めます。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。 マタイの福音書6:30
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
イエスは、不安の根幹にあるのは御父が私たちに与えてくださる将来の恵みに対する信仰の足りなさ——信仰が薄いこと——であると言われます。
これに対して、ある人はこう言うかもしれません。「これは良くない知らせだ! 実際私は、自分がただ不安になりがちな性格で悩んでいるだけだと思っていたのに、それがむしろ神を信じるかどうかというもっと深い問題だったとわかるのは、とてもがっかりしてしまう。」
この反応に対して私は同意する部分もありますが、やはり同意できません。
例えば、あなたが腹痛を患っていて、色々な薬や食事療法を試しても効果がないとします。そしてあるとき医師に、定期検診で、小腸にがんがありますと言われたら、それは良い知らせでしょうか? あなたは、まったく良い知らせではない! と言うでしょう。私も同意します。
しかし、別の質問をさせてください。医師ががんを見つけてくれて、それがまだ治療可能な状態で、実際にうまく治療することができるとしたら、あなたは喜ぶでしょうか? あなたは、もちろん医師が問題の原因を見つけてくれて良かった、と答えるでしょう。私はそれにも同意します。
つまり、がんがあるという知らせは、良い知らせではありません。しかし、別の意味では良い知らせです。なぜなら、何が問題であるのかを知ること、特にその問題が「治療可能」であることを知ることは良いことだからです。
これは不安の背後にある本当の問題が、神の将来の恵みの約束に対する信仰が薄いこと(イエスが言われるように)であると知ることと似ています。そして神は、私たちが「信じます。不信仰な私をお助けください」と叫ぶとき(マルコ9:24)、驚くべき癒しの方法で働いてくださるのです。